夏と旅情とそれに伴う雑感

押しも押されもせぬ夏も夢だったのだろうかと思われるほど、夏の威勢が削がれている気がする。

 

深夜に長野のPAでしとしとと降る酸性雨を20年後の自分の生え際に想いを馳せながら受けていると、花火大会と縁遠かった10代最後の夏もハゲでは無い分悪くはなかったな、などと言う馬鹿みたいな気持ちが滲み出してくる。

 

旅情に関する随筆では使い古された感想ではあるだろうが、深夜バスというのは本当に不思議なものであるように思われる。出発点と目的地以外全く共通項を持たない老若男女が、小さな箱に揺られて真夜中を通り抜けていく。

途中のSAやPAで固まった身体をほぐす時に、初めてお互いの顔を認識し、それぞれのバックグラウンドを想像し、しかし答え合わせはすることなく、会釈をしすれ違っていく。

位相の異なる人生を歩んでいるはずの人々が、折角一堂に会しているのだから、ちょっと隣の人に話しかけてみたいなという好奇心も湧いてくるが、そこはお互いに侵さない一線がある、というふうに思って会釈に留めておくのあたりに、なんとなく自分が大人になった気がしてしまう平成最後の夏の暮れなのである。