卒業とそれに伴う雑感

高校を卒業しました。

 

 

 

 

 

卒業に必要な単位数を取得できたことや、卒業式に間に合うように起床できたことなどの諸々の奇跡などは今回あまり問題ではなく、むしろ問題なのは卒業に関してあまりになんの感慨もないことなのである。

 

 

 

 

 

例えば、中学の時などは、友人たちとは結局地元が同じゆえに会おうと思えばまたいつでも会えるのにも関わらず、今生の別れの如き寂寥を感じたものなのだが、

 

今回は進学先はおろか地元すら全く違うために、再会の保証など何1つないような人々との別れを、全く惜しめないのだ。

 

 

 

 

 

なぜここまで感慨を覚えないのだろうか。

 

 

いくつか思い当たる原因を挙げてみると、

最後の方はサボりがちだったこと、アンチが湧いたこと、進学のための受験勉強に本気を出してはいなかったことなどがある。

 

この中で特に受験勉強に関することが一番大きいのではないかと思う。

 

 

中学の時はそれこそ死ぬ気で励んでいた故に、達成感と解放感の反動で、更なる自由を手に入れるはずの進学に伴う別れを惜しむことができたのだと思う。

 

 

逆に、大学受験に際して、人並みに頑張ったとは決して言えない学習態度だった為に、なんら達成感も解放感も感じずに、ただ漫然と時間の経過としての卒業を迎えたにすぎないのではないだろうか。

 

 

そう考えると私の高校生活、特に高3の1年間は実に無為なものであったのではないかと悲しくなるような気持ちも生じる。

 

 

悲しいなぁ(諸行無常

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし3年間を俯瞰して見てみれば、実に有意義なものだったのではないか、と思う。

 

 

 

 

高1では自分のルーツと人と真剣に付き合うと言うことを学び、

 

高2では酷い振られ方への対処法を知り、

バスケへの深い造詣を得、

 

高3では引退の虚無とアンチの滑稽さを知ることが出来た。

 

 

 

クソじゃねえかよ。いやマジで。

 

 

 

 

3年間で自分がやってきたことは、本当にバスケ以外はクソなのだが、それでも笑いあったり語り合ったりする仲間を得ることができたことは心の底から喜びや感謝や、その他諸々の正の感情を覚える。

 

 

加えて酷い失恋に対する対処法は、処世の術の中でもなかなか大切なものだと思うので、胸に刻み付けておくことにする。

 

 

 

総括すると、に続けて何か気の利いた文句を書いてやろうと思ったが、この3年と言う月日は、私の貧弱な語彙と稚拙な表現力ではとても総括が可能な単調な日々ではなく、むしろ地球の表面積分の紙を広げてやっと書ききれるような、それほどまでに色鮮やかで、色濃い日々であった(と少なくとも私は思う)ので、この文章には明確な総括やまとめの類はつけないこととする。